風待ち潮待ちの島大崎下島


大崎下島
は、豊町と対岸の豊島の豊浜町に属する立花地区と大浜地区が あり二つの町で成る周囲24kmの島です。 豊島とは、豊浜大橋で結ばれており、平成17年3月20日豊町と豊浜町は 呉市と合併しました。

      
大崎下島には、江戸時代の風待ち潮待ち港があり豊町の御手洗重要伝統的建造物保存地区になっています。
 また大長みかんのふる里でも有名です
。                                                そんな島を2月7日、大長港に高速艇で行き、大長地区から御手洗地区の重要伝統的建造物保存地区をグルグル見て回り瀬戸内海が一望出来る歴史の見える丘公園まで登り、沖友地区から豊浜大橋をくぐり、瀬戸の潮風を一杯吸い四国の連山を見ながら大長港まで一周してみました。
  

大長地区
大長港        宇津神社 宇津神社のホルトの木
この地方で一番古く海難除けの神 樹齢推定1200年です
御手洗の重要伝統的建物群保存地区
    江戸時代の家並みが残る港町「御手洗」 
 江戸時代の中継貿易港である御手洗には人が集い、物が集まり文化が育ちました。
 迷路のように延びる古い路地を巡ると元治元年(1864)蛤御門の変で長州軍が幕府に敗れた際、三条 実美ら7人の公卿が長州への都落ちの時立ち寄った当時の庄屋の屋敷であった「七卿館遺跡」

 慶応3年(1867)長州軍と芸州軍が御手洗で合流し倒幕のための御手洗条約が結ばれた
「金子邸」

 1755年に天神社として創建され、明治4年(1874)広島藩士の寄進により現在の場所に新社殿が造営され、境内には菅原 道真公の歌碑や井戸の若水を汲んで書いたという菅公の井戸がある
「御手洗天満宮」

  豊臣 秀吉の四国征伐の際の前線基地として加藤 清正が築城したと伝えられ戦国時代の城の特徴である乱れ築きの立派な石組で造られた
「満舟寺の石垣」
 享保から宝暦(1716-1763)の頃広島藩から免許された茶屋がこの町には4軒あり一番大きく最盛期には100人以上の遊女を抱えておりおはぐろ伝説の残る
「若胡子屋跡」等があり、明治・大正・昭和の建築物も見ることができます。
 御手洗天満宮  菅公の碑  菅公の井戸
江戸の町屋   倒幕のための御手洗条約が結ばれた金子邸  広島藩から免許されたお茶屋若胡子屋跡
 常磐町とおり
若胡子屋前の醤油屋さん 時計屋さんの看板 元映画館の乙女座跡
三条 実美らが立ち寄った七卿落遺跡 なまこ壁の屋敷鞆田邸   大東寺
豊臣秀吉の四国征伐の前線基地として加藤清正が築城した満舟寺とその石垣 江戸の船宿
歴史の見える丘からの眺望(安芸津町方面) 歴史の見える丘からの眺望(四国方面)   高灯籠と石の太鼓橋
 (次のペ−ジでスライドショ-にしています) 
 沖友地区
天満神社 四角井戸 六角井戸 
沖友地区から豊浜大橋がある豊浜町の大浜・立花地区を通って平羅橋に向かいます。
豊島と結ぶ豊浜大橋   愛媛県の岡村島と結ぶ平羅橋   牛渡瀬戸

平成21年5月2日(土)に橋で繋がっている愛媛県の周囲11kmの岡村島を一周してみました。

愛媛県の表示 正月鼻古墳 対岸の御手洗