西 国 街 道 |
兵庫県 |
東加古川から姫路まで(約21km)
平成18年11月10日(金) |
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山と渓谷社発刊の「街道・古道を歩く」で東加古川から姫路まで紹介されていましたのでJR東加古川駅から姫路城に西に向かって8時30分出発です。土地の信仰を集めている「教信寺」は、教信上人ゆかりの寺でこの寺の横には「西国街道の石柱」が建っていました。教信寺から約100m歩くと街道沿いひっそりと「朽ちかけた百度石」が残っています。「胴切れ地蔵」は、大名行列の前を横切って無礼打ちにあった男の身代わりに胴体が二つに割れたという逸話があります。 JR宝殿駅前には街道から約1.2km南側に日本三大奇石に数えられる巨石を御神体とする生石神社を案内する「左石の宝殿と刻まれた道標」があり、寄り道をして「生石神社」に立ち寄ってみました。「御神体」の巨石は本当に大きく、側にある「霊岩」は、願い事を込めて力一杯押すと願い事が叶うと書かれています。もちろん願い事を込めて力一杯押してみました。 |
JR曽根駅側の高架下には、「集められた道標」があり、御着城は、戦国時代姫路城主小寺 政隆が築いた城ですが、秀吉に攻められ焼け落ちたと言われ、その「御着城址」は公園になり、姫路藩が街道を往来する大名に威信を示した総石造りの「旧天川橋」が移築されています。 |
教信寺 | 西国街道の石柱 | 朽ちかけた百度石 | 胴切れ地蔵 |
左石宝殿の道標 | 生石神社 | 生石神社の御神体の一部 | 霊岩 |
集められた道標 | 御着城址 | 旧天川橋 |
15時30分「姫路城」に到着です。 この日と翌日は姫路に宿を取り、 |
国境(岡山・兵庫)船坂峠から相生まで(約19Km)
平成19年4月7日(土) |
昨年11月10日に山と渓谷社発刊の「街道・古道を歩く」で紹介されている地図をもとに東加古川から姫路まで歩き、それ以外の旧街道の道がわからなかったのですが、兵庫県太子町お住まいの井上さんが図書館で国境の船坂峠から姫路までの道をわざわざ調べ送って頂きました。それをもとに今回は姫路城まで東に向かって歩いてみました。 |
朝広島駅を7時の新幹線で出発し、岡山で山陽本線に乗り換えJR三石駅へ。平成17年6月19日に岡山県内の西国街道の終点とした三石駅から約2Km ある岡山・兵庫県の船坂峠を今回は桜が満開の中、9時14分出発です。 |
現在ある県境の碑の左の真上約10mに「従是西備前国」の道標があり、昔の街道はその当たりだったと思われます。船坂峠の麓は、流通の基地で賑わった梨原で県境から30分位の所に「明治天皇駐輦之碑」がまた40分位に位置する「船坂神社」には、備前焼で造られた狛犬があり、その「梨原集落」を通り過ぎます。梨原から西有年までの旧街道は現在は通行不能ということで国道2号線を歩くことになります。国道の西有年信号から右に折れ旧街道を約100m引き返した所にある「三村家」は立場跡です。 街道沿いの立派な門構えの「有年家」は江戸時代の大庄家で、街道から50m登った高台にある「八幡神社」には下を流れる千種川を利用する高瀬船が目標にしたという「灯台」が誇らしげに建っていました。本陣があったという有年宿には「有年番所跡」が残っています。有年宿から現在の相生市を経て街道は続きますが、今日は相生市に有る「右さいこくみち 左あかお城下みち」と刻まれた「道標」を終点として相生市で一泊します。丁度15時40分です。 |
従是西備前国の道標 | 明治天皇駐輦之碑 | 船坂神社の備前焼の狛犬 |
梨原集落 | 左が立場跡の三村家 | 有年家 |
下の千種川からの目標の灯台 | 有年番所跡 | 道標 |
相生から姫路城まで(約23Km)
平成19年4月8日(日) |
6時40分相生市のホテルを出発し、1時間程歩いた所には間宿であった「片島宿の町並み」に出ます。そこには「旧片島宿本陣址」の山本家があります。片島宿から次の宿場の正條宿までは40分程度と短く、正條宿の龍野駅前に達します。正條宿には本陣であった「井口家」や、郵便局の横には「道標」が残っており、「浄栄寺の門」は龍野藩の大手門を移築したものです。正條宿から揖保川を渡り50分程度歩くと民家の玄関先に揖保村と上部が読み取れ半分以上が「埋った道標」や龍野出身の詩人三木 露風が作詞した民謡・赤とんぼの中で「山の畑の桑の実を〜〜〜〜」と歌われた「桑の木」が揖保小学校の校庭に残っています。この度資料を送って頂いた井上さんお住まいの太子町にある斑鳩寺に続く参道には「聖徳皇太子と刻まれた常夜灯」が二つ並んでたっています。姫路城まで近くなった幅4mの青山集落は「街道の雰囲気の町並み」が残っており、「桜が満開の夢前川」を渡ると姫路側の渡し場であったといわれる所に堂々とした「常夜灯」が民家前にあります。ここから1時間30分歩き13時40分「姫路城」に到着です。 |
片島宿の町並み | 旧片島宿本陣址 | 井口家 |
道標 | 浄栄寺の門 | 埋った道標 |
童謡に謡われた桑の木 | 聖徳皇太子と刻まれた常夜灯 | 街道の雰囲気の残った青山の町並み |
桜が満開の夢前川 | 夢前川渡り場の常夜灯(姫路側) | 姫路城 |
兵庫県内は、岡山県境から東に向かってスタートすればよかったのですが平成18年11月10日に、途中の東加古川から姫路城まで反対の西に向かって歩いています。今回、岡山県境から姫路城まで歩きました。これで、岡山県境から東加古川まで歩いたことになります。近い内に東加古川から東に向かって歩くため準備中です。 |
東加古川から舞子まで(約22km) |
平成19年9月28日(金) |
東加古川からのルートを吹田市にお住まいで西国街道旅日記のホームページをお持ちの伊藤さんから色々資料を送ってもらい、早く歩きたかったのですが、何かと忙しく、また、今年の夏はさすがに暑く秋分の日も過ぎやっと涼しくなった時期を迎えたので東加古川から行ける所まで行こうと2泊3日の予定で続きを歩きはじめました。(結局兵庫県内は踏破し大阪府の池田市まで歩きました。) 広島駅を7時11分の新幹線で姫路まで行き、姫路から電車で東加古川駅へ。天気予報では、この日は暑くなる予報。頑張って「歩くぞ」と8時50分スタート。 |
15分程歩くと未だ街道の雰囲気の残る「高畑地区の町並み」に出ます。そこから1時間30分程歩くと左手の正覚寺の先に「左 大山寺道」の石柱が建っており、そこを右手に進んで行くとJRおおくぼ駅で、このあたりから大久保宿となり「明治天皇大久保御小休止建物」や「大久保宿本陣」など街道の雰囲気が残っています。JR西明石駅前を過ぎ明石城の近くの十輪寺の境内には豊臣 秀吉が手植えした杉が戦火で「焼け残った杉」があります。「明石城」に立ち寄り、標準時交番の横には「日本標準時通過識標」と「左ひょうご大阪 右 かこ川道」の石柱があり、そこからは国道に沿ってJRあさぎり駅を通り過ぎ「明石海峡大橋」を右手に見ながらJRまいこ駅へ15時15分到着です。今日は結構暑い日で道中ペットボトル5本飲みました。もちろん明石のホテルでもビールその他のアルコールを楽しみました。 |
高畑地区の町並み | 左大山寺道の石柱 | 明治天皇大久保御小休止建物 |
大久保宿本陣(左のお屋敷) | 豊臣 秀吉お手植えの焼け残った杉 | 明石城 |
日本標準時通過識標 | 左ひょうご大阪 右 かこ川道 | 明石海峡大橋(舞子駅から) |
舞子から住吉神社まで (約26km) |
平成19年9月29日(土) |
JR舞子駅を7時にスタート、昨日歩いた明石海峡大橋の側に「舞子砲台跡」が有るのがわかり少し戻り見学。また右手に「明石海峡大橋」をみながら6km程歩いた所にある須磨公園には北条 貞時が平家一門の冥福を祈って建立した等の諸説がある「敦盛塚五輪塔」あります。 スタートして14kmでJR兵庫駅に到着。近くには兵庫の町の西の出入口であった「西惣門跡」のすぐ側には足利 尊氏が開いたという「福徳寺」があり、寺の塀には新田義貞に追われ福音寺の前進である針ケ崎観音堂に避難される様子が描かれた「足利 尊氏の絵」が塀に貼り付けて有ります。福音寺は、その報恩のため足利 尊氏が開いたということです。 福徳寺から700m離れた所には「札場の辻」の道標があり、そこから500m程歩いた湊八幡神社は、兵庫の町の東の出入口の「湊口惣門跡」となり、境内には子供が迷子になったとき名前などを貼り付けた「迷子のしるべ石」が残っています。 スタートして16km地点のJR神戸駅を通り過ぎ、しばらくすると「兵庫県道路元標」が建っており、元町にある三宮神社には備前藩と外国兵が衝突した神戸事件の発祥の地ということで三宮神社の境内におかれたのではないかと言われている「大砲」があります。 700m先の「生田神社」を経て、JR三の宮駅からは、しばらくの間「西国街道の道標」がいたる所に建っておりスタートから24km地点にある石屋川にかかる橋は極めつきで「西国橋」と命名されていました。 御影中の校門前には「街道松」が誇らしげに残っています。スタートから26kmの住吉神社の角には「西国街道の道標」と道を隔てて渡った所に「有馬道の道標」が残っています。 今日の歩きはこれまでとしてJR住吉駅に15時42分到着。今日の宿泊先の神戸まで電車でバック。 |
舞子砲台跡 | 明石海峡大橋 | 敦盛塚五輪塔 |
西国街道 兵庫 西惣門跡 | 案内板の西惣門復元図 | 西惣門の当時の風景図 |
足利 尊氏が開いた福徳寺 | 足利尊氏が避難される絵 | 札場の辻の道標 |
西国街道 兵庫 湊口惣門跡 | 湊口惣門の当時の風景図 | 湊八幡神社境内の迷子のしるべ石 |
兵庫県道路元標 | 三宮神社にある大砲 | 生田神社 |
JR三宮駅から約6km先の西国橋までにある西国街道の道標 | 西国橋 |
御影中校門前の街道松 | 住吉神社にある西国街道の道標 | 有馬道の道標 |
明日の天気は、雨のち曇りの予報 友達から「明日は雨模様ですが、歩かれるのですか?頑張ってください」のメールが飲んでいる時に着信。このメールに励まされ明日も頑張るぞとビールをたらふく飲んで就寝。 |
住吉神社から石橋まで(大阪府池田市)(約24km) |
平成19年9月30日(日) |
朝起きると雨がーーーーー。JR住吉駅をスタートして3.5kmで芦屋市に入ると古美術店の店頭に「従是東尼崎領」「従是西尼崎領他領」の「道標」がまさか売り物(怒り)にと思いながら通り過ぎ、このあたりからさすが「晴れ男」ーーー。雨はやんで来ました。阪神「うちで」駅の前の歩道上に阿保親王廟と刻まれた「道標」があり、スタートして7kmで西宮神社に到着。朝9時前でまた雨上がりということで参拝する人は私ともう一人。 西宮神社の境内には西宮宿にあった「道標」が保存されています。「西宮神社練塀」は総延長247mの長大な築地塀で室町時代の建立と言われています。スタートして10kmあたりの西宮市広田町から「旧西国街道の案内板」があり、民家の塀に「お地蔵さん」があったり西国街道と有馬街道の別れ道に建っていた「厄神道標」を経て報徳学園の前を通り「武庫川の渡し」にでます。 .スタートして17kmから伊丹市昆陽からは、「昆陽宿」の名残が多く残り「西国街道の案内」や稲野小学校の校門前にはまっすぐ西宮 まっすぐ中山・小濱と刻まれた「道標」があり、昔の昆陽宿の町並みが続きます。スタートして20km坂口橋を渡ると「多田街道の交差点」に「辻の碑」があり、辻の碑には京都の南の玄関口東寺から10里ということで「従東寺拾里」と刻まれています。大阪府池田市近くにある浄源寺付近には比較的「古い民家」が並んでいるの横に見て兵庫県から大阪府にはいります。 少し道を間違え14時に阪急「石橋駅」に到着、新大阪まで電車で出て新幹線で広島へーーー。 |
古美術店前の道標 | 歩道上の阿保親王廟道標 | 西宮神社 |
西宮宿にあった道標(西宮神社内) | 西宮神社練塀 | 民家の塀のお地蔵さん |
厄神道標 | 西国街道の案内板 | 武庫川渡し(対岸が報徳学園側) |
昆陽宿 | 西国街道の案内 | すぐ西宮・すぐ中山小濱の道標 |
昆陽宿の町並み | 昆陽宿の町並み | 多田街道との交差点 |
辻の碑 | 碑の中の東寺まで拾里と刻まれた道標 | 県境付近の古い民家 |
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阪急石橋駅 | 赤い点線 県境 |
兵庫県内を踏破し大阪府池田市へ(ゴールの京都東寺まであと38KM)近い内歩くため日程調整中
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