萩 往 還
 萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、城下町萩市と瀬戸内の港三田尻(防府市)をほぼ直線で結ぶ街道として開かれました。
   全長は
約53kmあります。
  萩のお殿様の「お成り道」(参勤交代道)として整備され、山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡道として参勤交代や江戸時代の民衆の重要な交通路となりました。
幕末には維新の志士達が駆け巡った街道です。  この街道を平成15年5月17日・18日に萩からスタ−トし、途中にある佐々並市(旭村)に一泊し、翌日は、山口まで歩き、また日をあらため平成15年11月22日に山口から三田尻まで 歩きました。                                                   
              

平成15年5月17日(土)・18日(日)

萩から山口へ
 

江戸時代の約260年間、36万石の城下町として繁栄。明治維新には吉田松陰や高杉晋作など多くの志士を輩出した
   萩の城下町を出発します


            

                                                 
萩の城下町を出た道は、橋本川に架かる大橋を渡り、明木市にむかいます。この途中に「悴坂(かせがさか)の一里塚」があります。、萩から歩くと明木市を出て1.5kmほどで「最初の石畳」があり、しばらく歩くと一升谷の長い峠を越えると落合橋があります。 落合橋の手前には田と川の間に「石畳」の道があり本当に心が和み気持ちよく歩けました。
悴坂(かせがさか)の一里塚   最初の石畳 落合橋手前の石畳
落合橋」をわたります。、この石橋を先人達はどのような思いをしながら歩いたことか想像するだけでワクワクしてきました。今日の宿をとる佐々並市はもうすぐです。「石畳」の道が整備されている峠を越えると佐々並市が見えてきます。
落合橋   佐々並市手前の石畳 佐々並市手前の石畳
佐々並市は、萩往還の整備とともに成立した集落です。江戸後期の屋敷数は62軒でお茶屋等の休憩施設が置かれており、今でも往時の町並みの雰囲気が残っております。佐々並市にある「はやし屋」旅館で名物のとうふ料理とビ−ルを飲み、かえるの合唱を聞きながら眠りにつき翌日元気よく出発です。町並みの出入り口には佐々並市の一里塚」があります。しばらく行くと塚石や盛土がほぼ現状に近い状態で残されているめずらしい上長瀬の一里塚跡」 「ぎゃく石」が残されています。
佐々並市の一里塚  上長瀬の一里塚跡 ぎゃく石
                                                                                    
 佐々並市から山口までの間には往還最大の一ノ坂があり、その手前には萩往還の最高所にある板堂峠があります。板堂峠は防長2国の国境で、この一帯は江戸時代初期には銀山が営まれておりました。そこには「国境の碑」が宝暦年間(1760年頃)からあり、現在のは文化5年(1808)の建立で高さ2m10cmあり、国境・郡境を示す北 長門の国阿武郡 南 周防の国吉敷郡と刻まれています。 「一ノ坂の一里塚跡」は、萩からも三田尻からも6里(24km)で 萩往還のほぼ中心にある一里塚です。  「六軒茶屋跡」は、参勤交代の時休息した所です。  一ノ坂から山口までは下り坂になります。  
国境の碑 一ノ坂の一里塚跡  六軒茶屋跡
                                                             
                                                                        
                            
 平成15年11月22日(土) 
山口から防府(三田尻)へ
山口から鯖山峠を経て宮市に向かい三田尻に至ります。防府天満宮の門前市である宮市は、古くから商業で栄えた町で、ここに本陣を勤めた兄部家(こうべけ)の建物が残っています。三田尻には御茶屋跡・御船倉跡などが残っています。 
山口市にある「龍福寺」は、
弘治3年(1557)4月大内 義長が滅び、その跡を継いだ毛利 隆元公が、大内氏31代義隆卿の7回忌に建立しました。  山口駅を過ぎ鰐石橋の所に岩が重なりその上に松が生えている「重ね岩」が右手にあります。
        
          
         龍福寺                                      重ね岩
柊神社を通り過ぎ三田尻に向かって進みます
                                            鯖山峠の入り口で
国道のトンネルの横の鯖山峠の道を登りきると郡境の碑や明治天皇がお休みになられた所にが碑が建っており、そこから防府市を眼下に見ながら下り坂になります。
          
鯖山峠の郡境の碑 明治天皇小休止の碑  鯖山峠から防府市を望む
  従是南佐波郡 従是北吉敷郡    郡境の碑の近くにありました 

   

宮市(防府市)本陣兄部家  三田尻お茶屋跡 三田尻お茶屋跡

鎌倉時代から住む旧家で周防の国の合物商の支配権を持った豪商で寛永19年(1642)本陣となりました
三田尻御茶屋跡は、承応3年(1654)2代藩主毛利綱弘によって建設された藩の公館で参勤交代や藩内巡視に使用されました。(右の写真は道路を渡って写す)  
三田尻御船倉跡    
毛利藩の水軍(御船手組)の本拠地で、藩主の御座船や軍船が常置され船の建造や修理も出来たそうです。周辺には水軍の将校や船頭・船大工が住み三田尻は藩主の参勤交代の時にはここから御座船が出航するなど表玄関でした。
昔の人はよく歩いたものだと思いました。
これで萩から三田尻まで歩いたことになります。
追加
丁度この日11月22日は、防府天満宮の裸ん坊祭りでした。