天下の険 箱根八里
平成15年12月27日(土)

小田原から箱根まで

箱根八里の地図[全体図]           

東海道は、慶長9年(1604)江戸幕府により江戸から京都125里(約500km)を結ぶ街道で道幅は、概ね2間(3.6m)とされ、道の両側には、松や杉が植えられ人馬を保護してきました。
 
箱根八里は、東海道最大の難所で標高800mに加え、雪や雨の時は、大変な悪路になり膝まで没して歩くため竹を敷いていましたが、竹の調達は、大変な労力とお金が必要なため延宝8年(1680)に江戸幕府が石畳を敷設しました。

 そんな
石畳の残る天下の険と謡われた箱根八里を三島青年会議所が作成された非常にわかり易い地図と良く整備された案内板に従って小田原宿(小田原城)を出発し箱根宿(芦ノ湖温泉)に一泊し、三島宿(三嶋大社)までかって多くの先人達の足音と息使いを感じながら歩いてみました。
       小田原から箱根までの地図 小田原宿は、江戸から二十里二十町の所にあり江戸を出て最初の城下町です。
 天下の険箱根の山が控えていたためか本陣が四軒、脇本陣が四軒、旅籠屋は九十五軒を数え五十三次の宿場でも有数の賑わいでした。

 その小田原城から奥湯本温泉を経て元和四年(1618)西国大名の要請により箱根峠越えの労苦を緩和するため小田原宿・三島宿から各50軒ずつ芦ノ湖湖畔に移住させ新しくつくられた
箱根宿までが一日目の行程です。

小田原提灯
のお出迎えです。写真クリック
小田原城

小田原城は、室町時代大森氏が築いた山城が前身で明応4年(1495)に戦国大名小田原北条氏の居城となりました。江戸時代を迎えると徳川 家康の支配となりその家臣大久保氏その後稲葉氏が城主となりその後再び大久保氏が城主となり譜代大名の居城として重要な役割を担ってきました。  
天守閣 小田原城の常盤木門     小田原城の銅門
本丸の正面にあり城門でも最も大きく
堅固に造られています
二の丸の表門です
明治天皇宮ノ前行在所跡    済生堂小西薬局 長興山紹太寺 
四つある本陣のひとつです 創業寛永十年の薬局です 城主稲葉氏の菩提寺
だんだん登り坂になり 奥湯本に向かって歩きます
早雲寺   弥坂湯 正眼寺
北条早雲を始め北条家の菩提寺 地元のご婦人が一番いい湯とお薦め。時間がないので素通り   父の仇討ちで有名な曽我兄弟の供養地蔵があります
箱根宿の途中の畑宿に向かって
最初の石畳の道   畑宿本陣跡 雪化粧の畑宿の一里塚
庭が旅人の評判だったようです 江戸から22里になります
箱根宿が近づくにつれきつい登り坂に
かしの木坂からの小田原市です。 甘酒茶屋   芦ノ湖が見えてきました
忠臣蔵47士の神埼与五郎が討ち入り 前のため我慢して馬子に詫び状を書いた所 
芦ノ湖  芦ノ湖からの富士山 箱根関所に向かっての杉並木
上の写真クリックで拡大できます 
       
一日目は、これでゴ−ルです。
 心配した天気も朝小田原で雪が残っていましたが、日が昇るとともに溶けてきて、登り坂で は、汗ばむ程の天気で快適なウオ−キングでした。
 途中で郷土資料館を観たり甘酒を飲んだりのんびり歩きました。 残念なのは、風呂好きな私が奥湯本でひなびた感じの弥坂湯に入れなかったことです。
またの機会にします。
駅伝広場
箱根駅伝の折り返し点です i
翌日箱根から三嶋まで歩きました。次のページです。