中   山   道(垂井宿から武佐宿まで)
 中山道は、東海道(東の海沿いの道)と北陸道(北の陸地の中の道)の二つの道の中間の山道を意味しています。山越えが多いが東海道と異なり川留めになる河川も少なく姫宮の通行の殆どが中山道を利用していました。
 江戸日本橋より近江守山宿まで全長約129里10丁8間(約507.6Km)を中山道として整備され、この街道沿いに67次(東海道の草津宿・大津宿を入れて、武蔵国11宿・上野国6宿・信濃国15宿・木曽路11宿・美濃国16宿・近江国10宿、69次ともいわれている。)の宿場があります。
 木曾の山道を通ることから「木曾路」とも呼ばれたようです。
 京都三条大橋までは、135里22丁(約533Km)の街道となります。
  
 中山道は、いままで平成10年6月5日から7日にかけ妻籠・馬籠・落合・中津川・大井・大湫・細久手・御嵩まで歩き、平成12年10月7日・8日に柏原・今須・関ヶ原と関ヶ原古戦場巡りを、また平成15年3月21日・22日に妻籠・三留野・野尻・須原・上松・福島まで歩いていますが街道時代の面影を随所に見ることができ好きな街道です。
  

 そんな街道を,以前名古屋の宮宿から垂井宿までの美濃路を歩き、引き続き京都三条まで行ってみたくなり、平成16年5月のゴ−ルデンウイ−クの1日(土)朝6時の新幹線に乗り関ヶ原に9時過ぎにつき関ヶ原宿から醒井宿まで、翌日2日(日)醒井宿から愛知川宿まで、3日(憲法記念日)には愛知川宿から武佐宿まで歩き武佐宿で交差する近江鉄道武佐駅でJR近江八幡駅まで行き新幹線で帰路につきました。 天気は3日間とも良く翌日4日は雨・風のようでしたので3日で切り上げてよかったと思っています。

                         

 平成16年4月11日(日)
垂井宿から関ヶ原宿までは、約4kmあります。美濃路の出発点である名古屋の宮宿から中山道と美濃路が交差する垂井宿まで歩いた時に引き続き中山道の関ヶ原まで歩いたものです。
 垂 井 宿 

  中山道と美濃路が交差する宿場であり、交通の要衝として栄え、全国の鉱山・金属業の総本山南宮大社を控え多くの商工業者で賑わった宿場町です。
 「野上の街並み」は、関ヶ原の戦いで徳川 家康が最初の陣を張った桃配山の手前当たりの街並みで落ち着いた雰囲気の街並みでした。 

 関 ヶ 原 宿 

 北国脇往還と伊勢街道への分岐点に当たり旅籠が33軒もありしかも大旅籠が12軒もあり西からの今須峠を越えてきた多くの旅人で賑わい関ヶ原合戦で余りにも有名。 
 関ヶ原宿
「脇本陣門」は、現在の国道沿いにあり、その当時の名残を留めているもので、臨済宗妙心派の大僧正になった無難禅師誕生の地でもあります。
 
「不破の関跡」は、壬申の乱の後天武天皇が、天下の変乱に備えるため設置したもので武前の愛発関、伊勢の鈴鹿関とともに三関といわれています。 

       

                

        野上の街並み                               
脇本陣門  不破の関跡
第1日目 平成16年5月1日(土)  
関ヶ原から今須宿(4km)・今須宿から柏原宿(4km)・柏原宿から醒井宿(4km)へ
不破の関跡を過ぎると山道に入り、鶯の滝等があり、今須峠を越えると今須宿にはいります。
 
「山崎家」は、人や馬などの継ぎ立てを行った問屋場で美濃16宿のうち当時のまま現存している建物です。 「常夜灯」は、京都の問屋の河内屋がこの今須宿付近で大名の荷物を紛失し、金毘羅様に願をかけたところでてきたので御礼に建立したものです。
 
「寝物語の里」は、溝を挟んで美濃国と近江国で両国の番所や旅籠が建ち並び壁越しに寝ながら話が出来たといわれています。
  柏原宿手前の街道沿いに
「楓並木」があり地元の人達が大切にされており、秋の紅葉の時は素晴らしものだとおもいます。 
「伊吹堂」は、広重が描いた伊吹堂亀屋左京で名物のもぐさの商いの店です。 「郷宿跡」は、中間武士や公用で旅する庄屋等が休息に使用されたところです。 国道を横断し大きな中山道の道標を左に入っていきます。
 
醒井宿の「居醒の清水は、旅人の休憩の場であり、今でも湧き水が絶えることはありません。「川口家」は代々問屋を勤めた家で問屋業務を行っていた貴重な建物です。 「十王水」の湧き水は居醒の清水の近くで淡水魚ハリヨが棲んでいます。

今須宿
美濃と近江の国境に位置する本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13軒の小さな宿場でした。
山崎家   常夜灯 寝物語の里(真中の溝が国境)
柏 原 宿
東西13町(1.4km)で天保13年(1843)の総家数は344軒で本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠22軒をかぞえました。
楓並木  伊吹堂  郷宿跡
醒井宿
清らかな居醒清水の湧水が水源になる、地蔵川が中山道に沿って流れ、古くから綺麗な湧き水で有名な宿場です。天保年間の記録では、総家数138軒人口539人旅籠が11軒連ねています。
居醒の清水 川口家  十王水
                 第一日目は、ここまでとしてJR醒ヶ井駅から彦根の宿に。
第2日目 平成16年5月2日(日) 
醒井宿から番場宿(4km)・番場宿から鳥居本宿(6km)               
                  今日も天気がよく心も体も快調で、 JR醒ケ井駅を7時18分出発です。

 番場宿までは、平坦な道が続きます。途中で休憩されているマラソンの有森さんに似た(?)方にお会いし「今日は、どこからですか」とお聞きすると「今日は、鳥居本からですが、昨日は、京都三条から鳥居本まで70kmです」といわれたのには驚き。---- でした。 
 
番場宿に入ります。
 「番場の街並み」から伊吹山も見えるそうですが、残念ながら見過ごしてしまいました。
 
「蓮華寺」は北条 仲時自害の地であり番場の忠太郎のお墓があります。中を見学するのは有料でしたので、外から写真をパチリ。
 番場宿をでてすぐ
「鳥居本宿」行く道で、左は名神高速道路で道路沿いを少し歩きます。
  ここから、摺針峠へと向かい、峠を下ると鳥居本宿で 
「有川家」は、懐中胃薬「赤玉神教丸」を製造販売している所で「合羽屋」は、特産の合羽と同じ形をした木製の看板が掲げてあり「本家・合羽所」と書かれています。 「道標」は、右は 彦根道と書いてあり朝鮮通信使が通ったので「朝鮮人街道」とも呼ばれています。
番場宿
長谷川 伸の「瞼の母」の主人公 番場の忠太郎で知られる宿場で山間にありのどかな風景が残っています。
街並み   蓮華寺 鳥居本宿へ(左上は名神高速)
鳥 居 本 宿 
合羽と赤玉神教丸そしてスイカが特産で本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒を数え、朝鮮人街道、北国街道が分岐する交通の要衝として栄え、多賀神社の鳥居があったことからこの名がついたと言われています。
有川家 合羽屋   道  標(左中山道 右彦根道)
鳥居本宿から高宮宿(6km)・高宮宿から愛知川宿(8km)へ  

鳥居本宿を出て左手に名神高速道路をみながら暫く行くと小野小町の出生地である小野町に小町塚がひっそりと名神高速道路沿いにあります。
 

高宮宿を出ると、昔の旅人の姿のモニュメントが見送りです。
  松並木が点在したり、左手に鈴鹿山脈を見ながら歩くと校舎の建て替えで有名になった豊郷小学校の前を歩きます。
豊郷小学校の近くにある「伊藤 忠兵衛」の旧邸は、伊藤忠・丸紅の創始者でもあり、近江商人の筆頭の一人でもある伊藤 忠兵衛のお屋敷です。


   

 
 しばらく歩くと愛知川宿に入ります。
 

高 宮 宿 

高宮宿から、多賀神社への3kmの参拝路が分岐し天保14年の記録では町の南北の長さ約800m総戸数835軒・人口3560人・本陣1軒・脇本陣2軒・旅籠23軒あり多賀神社の門前町としてまた高宮布の集散地として賑わった宿場です。

高宮宿「多賀神社の大鳥居」は、「伊勢へ七たび熊野へ三度、お多賀さんには月参り」と謡われ古くから縁結びと延命の神様と信仰されています。
 高宮宿の「本陣」は、建坪約120坪あり現在は表門のみ残っています。

多賀神社の大鳥居   街並み      本陣跡の門
愛 知 川 宿  

古くから煎茶の名産で知られており、彦根から愛知川へは、舟運も利用できその水路として使われた不飲川(のまずかわ)も今も残る宿場です。
 
街道沿いは商店街になっており、街道沿いには、当時の宿場の絵図が紹介されており「脇本陣の跡」の碑もありました。「竹平楼」は、創業230年以上を誇る老舗の料理屋で「五街道細見」には旅籠竹の子屋として名前が見え、明治天皇の御小休所となっています。

街並み(当時の絵図) 街並み(脇本陣跡)  竹平楼
愛知川宿で15時30分になり、二日目はここまでとして近江鉄道愛知川駅から彦根の宿に再び向かいました。
第3日目 平成16年5月3日(憲法記念日)

愛知川宿から武佐宿(10km)へ
 前日の愛知川駅を7時15分出発です。今日も天気は、晴れです。

五個荘町は、古い街並みの住宅街の中も歩きます。途中には京道の道標や、街並みも整備されており3日目の疲れも吹っ飛び快適な歩きです。
右京みちの道 標 五個荘町の街並み
五個荘の街並みの当たりから右手に曲がり国道を横断して、近江商人の街並みがあるので立ち寄ってみました。
 
近江商人の街並み
 武佐宿に入ります。                                                           
[大橋家」は、400年以上前の商家で15代の金左衛門は庄屋と伝馬の取締役をしていたそうです。「中村屋」は23軒あった旅籠の中でただ一軒昔の姿を残しています。「本陣跡」は、門と土蔵が残っています。
武 佐 宿 
武佐宿は、守護六角氏の保護を受け発展し、馬の継立ては、人夫50人・馬50駄を常設し本陣1軒・脇本陣1軒・問屋2軒を有し旅籠は23軒あったといわれています。
大橋家  中村屋 本陣跡
 中山道沿いにある左の建物が近江鉄道武佐駅で ここで今回の3日間の46kmの旅は終わりとして続きはまたにします。
  武佐駅からJR近江八幡駅に出、新大阪から新幹線で帰路につきました。
  
   残りは、武佐宿から守山宿が14km、守山宿から草津宿までが6km、草津宿から大津宿が14km大津宿から京都 三条大橋までが11kmですから45km。 暇を見つけてまた歩きます。


         暇を見つけて歩くことができました。次のペ−ジを見て下さい。