広島(元安橋)から西方面(岩国城)へ歩く |
西広島から廿日市へ |
|
||
![]()
|
||
![]() |
![]() |
![]() |
天満宮 | 太田川 | 広電西広島駅前の西国街道 |
西広島から廿日市へ |
|
||
![]()
|
||
![]() |
![]() |
![]() |
海蔵寺から瀬戸内海を望んだ風景 | 小泉酒造 | 共同の井戸 |
![]() |
![]() |
|
石井兄弟誓いの松 | 楽々園の街道松 | |
|
||||
廿日市の桜尾城の城主である藤原氏は巖島神社の神主でもあり、城跡は桂公園になっております。その手前には一里塚や街道松があり、廿日市は北前船の寄港地として栄えた町ですから天満宮の石垣は全国の回船問屋から寄進されています。 専念寺の境内には街道を行き交う人達の休息の茶屋があったと伝えられています。新宮神社前の道は土道が残っています。 高宮駅家跡は公用で行き来する人のために駅馬が用意されていました。大野浦駅前には足利義満から九州探題に命じられた |
||||
![]()
|
||||
![]() |
![]() |
|
廿日市天満宮からの眺望 | 専念寺 | 佐原田権現社 |
![]() |
![]() |
![]() |
神宮神社前の道 | 高庭駅家跡 | 今川 貞世歌碑と一里塚跡 |
大野浦から大竹へ |
大野浦から大竹までには、石畳等が残っている所があり、大野浦駅から少し歩くと苔むした石畳の道に出会い緩やかな坂道を上って行くと吉田松陰が休んだ腰掛けの岩があり、ここからの景色はすばらしいものがあります。 玖波宿の手前の鳴川の石畳の峠を越えると玖波宿の貴重な飲料水として使用された角屋釣井があります。 亀居城は大竹市にあり、完成まで5年をかけて造られた城は3年間で壊された命の短いお城です。 |
||||
![]()
|
||||
![]() |
![]() |
![]() |
玖波宿の手前の鳴川の石畳 | 角屋釣井 | |
亀居城跡 福島 正則が慶長13年(1608)に5年の歳月をかけ完成。 しかし慶長16年(1611)幕府の命により取り壊されました。 亀居城から大竹市内を眺望 下の写真クリックで拡大 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |