西 国 街 道
岡 山 県

広島県内の西国街道を歩き、岡山県内の西国街道の地図が岡山県文化財保護協会が発刊されていることを知り、早速手に入れ歩き始めてみました。
岡山県内では、ほとんど西国街道を山陽道と紹介されているようです。

国境(広島・岡山)から矢掛宿まで(約22Km)

平成17年5月 5日(子供の日)
岡山県内の第1回目の歩きは、広島県のJR神辺駅から岡山県の国境まで歩きそこからスタ−トです。

    
国境の道標
「国境の道標」には、広島・岡山県の元標までの距離が刻んであり近年立て替えられていました。
 「高屋」
は中国地方の子守唄発祥の地でうろこ壁の屋敷が残っております。
 「下出部の一里塚跡」
は、明治初年頃には榎木の枯木が残っていたそうですが今は石碑のみが建っています。
 「七日市宿」
は、最盛期には本陣・脇本陣・旅籠を含め80軒あったそうです。七日市宿を抜けると小田川岸に川越えをしていた所に「川越え跡」の石碑があります。
 「間の宿今市」
は、西の七日市宿と東の矢掛宿の中間にあり、間の宿として川越えが出来ないときには賑わったことでしょう。
 「間の宿堀越」
も古い町並みが残っています。
 
矢掛宿に入る手前で県道と合流する所に「常夜灯」が建っていました。「矢掛本陣」の石井家は酒造業を始めて庄屋から大庄家を世襲し備中南部でも有数の大地主で、現在内部は公開されています。本陣から東方面に少し歩いた所にある「脇本陣」の高草家は、庄屋役をつとめた旧家で間口14間のお屋敷です。   
国境の道標(手前が岡山県) 高屋の町並み  下出部の一里塚跡
七日市本陣跡  七日市川越え跡    間の宿今市
間の宿堀越   常夜灯 矢掛町
矢掛宿本陣 矢掛宿脇本陣 脇本陣の裏へ行く脇道

                             

矢掛宿から吉備津神社まで(約31Km)

平成17年5月14日(土)

 第2回目の歩きは、車で総社市のホテルに車をとめ、井原鉄道で矢掛まで行き、吉備津神社まで約30kmの歩きとなります。
矢掛宿を8時30分スタ−トです。

矢掛宿を出ると、矢掛神社が郷社に昇格した「記念碑」が街道沿いに建っており、西国街道と玉島道の追分にある「行部の道標」には「左大阪道」とあり道標の通り左に進みます。
 「井原鉄道」の高架下
を通って行きます。
吉備公館址は「吉備真備公園」
になっており巨大な真備の銅像が作られています。「吉備寺」は、真備の菩提寺です。
 「艮御崎神社」
の連柱鳥居には、犬養毅氏揮毫の書が刻まれています。
 「川辺宿」
は伊東氏岡田藩一万三百石の領地で高梁川が川留めになった時など相当賑わったようです。今は明治26年の長雨でこの集落を飲み込んだため川辺宿の地名は残っていますが、往時の面影はありません。「高梁川の渡し」は、大きな川なので、中州にいったん上がり、また渡し船に乗って川を渡っていたそうです。
吉備路と言われる地区を通っていくと、左手に「国分寺の五重の塔」を見え、文化3年(1806)に建てられた「國分寺詣道」の道標が道沿いにあります。すぐ近くには「宿の町並み」が残っていました。
 「板倉宿」
は岡山城下が目前の宿場町で「中国行程記」には、茶店あり遊女多しと書かれておりその賑わいは相当なもののようです。
 「吉備津神社に続く松並」
が延々と続いています。
記念碑と西国街道  行部の道標  井原鉄道高架下
吉備真備の銅像   吉備寺   艮御崎神社(犬養毅氏揮毫)
川辺宿  高梁川の渡し  国分寺の五重の塔
国分寺詣道   宿の町並み 板倉宿
板倉宿の町並み  [吉備津神社]松並木  吉備津神社

吉備津神社から岡山城下まで(約9Km)

平成17年5月15日(日
今日は、昨日少し歩き過ぎたのでしょうか体が少し重いようですが、元気を出して、朝6時30分JR吉備津駅を出発です。


すぐ近くに国指定史跡の「真金の一里塚跡」があり、それより200m先に従是東備前國と刻まれた「国境の碑」に行き当たります。
 
「大覚大僧正道」を北に進むと、その足跡を伺わせる寺院等につながる道です。大覚大僧正は、日蓮宗を備前・備中・備後に布教した僧侶です。
 
「常福寺」は幕末の渋染一揆の時に寄り合いの場となった所で知られている所です。近くには、昔の民家も残った「町並み」があります。「奉還町」は、明治初期に家禄奉還金を資本に士族が街道沿いに商店街を造ってそれが地名になっています。
 
真金の一里塚跡  国境の碑  大覚大僧正道
常福寺 町並み 奉還町

                                  
岡山城下から伊部まで(約32Km)

岡山駅の近くのホテルに車を止め残りを6月18日・19日と歩いてみました。この日は梅雨の晴れ間でとっても暑い日ですが岡山駅を10時にスタ−トして、「備前焼の里」伊部までの歩きです。
平成17年6月18日(土)
                     慶長2年(1597)豊臣五大老の一人宇喜多 秀家が築城した「岡山城」に立ち寄りました。

岡山城 
 旭川に架かる三本の橋の一つ「京橋」は岡山城下の入口でありまた出口の橋で、橋のたもとには、「道路元標」が近くには県道路の起点を示す「岡山県里程元標」が立っています。
京橋   道路元標  岡山県里程元標

 岡山から二里四町四十間戸数百を越す各戸は殆ど宿屋をもって本業とせりと古い資料に記録されている藤井の宿場であった「藤井の町並み」には、道路の南側に、「東本陣」であった角屋西崎家が、北側には「西本陣」であった一部白壁が残っている安井家があります。
 
右手にのどかな「田園風景」を見ながら吉井川の川止めの時に賑わった一日市宿へ向かいます。一日市宿を過ぎ吉井川の手前に「常夜灯」が静かに建っています。
 「一日市の一里塚」は、備中板倉宿より6里、播磨姫路より15里の所に位置した所で、この付近から「吉井川の渡し」で渡っており、渡しも2ル−トあったようです。
 香登の宿場であった「香登の町並み」には、石組もしっかりして市の指定史跡となっている「香登の一里塚」の跡が残っています。
 「伊部」は備前焼きの里であり多くの大名がこの地で備前焼の品定めをしました。「伊部駅」に16時40分につきました。今日はここまでとしてJR線で岡山駅までもどります。

藤井の町並み 東本陣跡    西本陣跡
田園風景 常夜灯 一日市一里塚跡
吉井川の渡し 香登の町並み  香登の一里塚跡
伊部の町並み  備前焼の里伊部駅

伊部から国境三石まで(約19Km)
JR伊部駅を6時に出発です。

平成17年6月19日(日)
伊部の町並みを過ぎると「岡山紀行今昔」には、「この道は山中のせまい小道であり、そこをぬけてやっとのことで伊部に出た」とあり難所であった葛坂峠には「お夏の茶屋跡」があり、そこには、直径1m・深さ1.3mの井戸が残っています。
 片上は、天然の良港で海上交通の要衝として栄えた町で、その町の中に左大阪道 右恵比寿道と刻まれた「片上道標」があります。
 「片上の一里塚」は、国道の植え込みの中に小さな松と碑があります。
 国道をしばらく歩くと「旧街道跡」の面影を残す幅1.5mの道が国道沿いに残っています。
 国道を上り切った所に「八木山一里塚」があります。
 三石は、「筑紫紀行」によれば、「人家百余軒家造りよく、清浄なる宿屋、茶屋多し」と書かれている「三石の町並み」の中に、JR「三石駅」があります。そこを通り過ぎ兵庫県との国境である標高180mある船坂峠に向かいます。
 国境の近くには石組の古い「井戸」があり、このあたりに茶屋があったことが伺えます。やっと国境に到着です。丁度10時です。4時間の歩きでした。そこにはひそっりと「県境の碑」が建っています。また今来た道を三石駅まで戻ります(国境・三石駅間約2,500m)。
お夏の茶屋跡   片上道標      片上の一里塚跡
旧街道跡  八木山一里塚   三石の町並み
井戸の跡  国境・県境の碑(左)  ひっそりと建つ県境の碑
これで岡山県内の西国街道の旅は終わり、広島県と岡山県の西国街道を歩いたことになります。また機会があれば続きを歩いてみたいと思います。
 


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