智 頭 往 来

                                                                                         


 鳥取城下を出発して、千代川づたいに河原・用瀬・智頭を経て志戸坂峠を越える道は、峠まで十里八町四十九間(約40.2km)あり、参勤交代の大名行列は、鳥取を出て智頭宿で一泊し峠を越すには一日半の行程だったそうです。
  志戸坂峠を越えて大原(岡山県)・佐用(兵庫県)から姫路に通じ大阪・京都への主要な道でした。
  道幅は、最大で6m鳥取から遠ざかるにつれて狭まり智頭宿以南は約2mの広さでした。
  篠ケホキから志戸坂峠を越え西粟倉村坂根までの道約21kmが「歴史の道百選」「遊歩百選」に指定されています。
  秋の一日、智頭町役場の人に親切に歴史の道 智頭往来の道を教えて頂き智頭トンネルの横をスタ−トし 篠ケホキから 智頭宿・魚ノ棚・副ノ瀧・志戸坂峠を越え西粟倉村(岡山県)の 粟倉温泉駅まで歩き智頭急行の電車で智頭まで帰り一泊。
 
 翌日は、あいにくの小雨でしたが、伝統的建造物群保存地区である、板井原集落に行きました。
 スタートの智頭トンネルからの歩き道は、昔ながらのホキ道で旧国道から高さ80mあり、古くからの難所で、東海道にも所々あるがこのような難所はないと伝えられています。鳥取藩が崩壊を防ぐため植えられた椿の大木が今も名残を留めています。        
ホキ道  上の写真クリック
智 頭 宿
        
智 頭 宿は、県内で最大の宿場町として栄え本陣や奉行所もおかれその名残の史跡も沢山残っています。宿場町の街道沿いには南 みぎ姫路・大阪 東 みぎ鳥取  ひだり津山・備前と刻まれた 「道標」や大庄屋で問屋業や山林業を営み3000坪の敷地と約40の部屋を持つお屋敷の「石谷家」や智頭産の巨木を使い明治時代の終わりに建てられた「米原家」があります。    
道      標  石 谷 家   米 原 家 
智頭宿を出て
杉木立のなかを-- 

 

農作業されていた近くのお年寄りが祖母から伝え聞いた話で、この道をお殿様の参勤交代の行列が通った時は、道の側でお出迎えしたそうで道幅もこの幅だったとのこと。 
 

国道に出ると右手に智頭急行の電車が走ってきました。
「魚の棚」は、江戸時代から名所で、この地域は昔を偲ぶ智頭往来の景観が残されており、「副の瀧」 は智頭往来の一角に面して一服するのに景勝な眺めで旅人の喉と気持ちを癒したことでしょう。「志 戸 坂 峠」は、国境(岡山県・鳥取県)で三十三曲がりと呼ばれた険しい峠です。道が険しくて馬も引き返すことから駒帰坂とも呼ばれていました。
魚の棚 副の瀧
志 戸 坂 峠
  翌日、山間僻地の隠れ里として平家の落人伝説がある板井原集落(伝統的建造物群保存地区)に行ってみました。木挽きや養蚕で栄え、この集落に入るのは川に沿った幅員六尺(2m弱)程の六尺道が昔からの主要な道でした。
 この集落内には、未だかって車が入ったことはありません。
六尺道    町並み  養蚕農家特有な越屋根