柳生街道
平成17年1月9日(日)
JR笠置駅    攻防戦     柳生の里に
柳生の里

 戦国時代末期に柳生新陰流を創始した柳生家は、宗矩の時代徳川家の兵法指南役から一気に一万石の大名に上り詰めました。
 
十兵衛杉」は柳生十兵衛が植えたとされ、落雷で枯れていますが、地元の人が大切に保存されています。
 
旧柳生藩家老屋敷」は、小山田主玲の旧邸で一時、作家山岡 荘八氏の所有となり、小説「春の坂道」の構想が練られた所です。家老屋敷の近くに「小山田家の分家の立派なお屋敷がありますが非公開です。
「芳徳寺」は柳生一族の菩提寺です。芳徳寺の登り口に「茶店」があります。柳生陣屋跡」は宗矩が3年の歳月を費やし建築したもので坪数は1,374坪あり、一度火災により焼失し明治の廃藩により姿を消したものです。
 

柳生の里から円成寺まで
東海道自然歩道に入っていきます。
 
ほうそう地蔵」は疱瘡よけに作られたという高さ3mの石仏です。
 かなりきつい坂原峠を越え、大柳生の集落の手前には、柳生の殿様の宗矩が通りかかり馬上から洗濯中のおふじという娘と頓知問答の末、その才知と器量をみそめ妻に迎えたとの伝説のある
「おふじの井戸」があります。少し先の「南明寺」は、鎌倉時代い建てられた寄せ棟造りの古刹です。
 しばらく歩くとこんもりとした森の中にたたずむ
「夜支布(やぎう)山口神社」があり、8月17日には大柳生太鼓踊りがここで行われます。
 やっと中間点である円成寺に到着。
 円成寺」は、柳生街道一の名刹で庭園は平安時代のかず少ない遺構でとってもきれいです。
 
ここからは、奈良までのバスの便はよく、連れの友達は「バスに乗って行く」と言うのを励まして一路奈良へ−−−−。


ほうそう地蔵 おふじの井戸 南明寺
夜支布山口神社 
円成寺から奈良まで(滝坂の道)
 円成寺から左手の道に入っていきます。
 
少し登り坂になりあとはほとんどが下り坂になり、武芸者達が飲み代のかたにしたという鉄砲や槍がかけられている「峠の茶屋」があります。
ここで一服するのを楽しみにしていたのですがシ−ズンオフのためか休みでした。残念です。
 
「地獄谷石窟仏」は、石を掘りだしたあとの洞に線刻したもので鉄の扉で守られています。
 暫く行くと平安時代から鎌倉時代にかけて南都七大寺の僧達の修行の場で昼なお暗い樹林の中に苔むす石仏がたたずむ渓流に沿った石畳の道になります。
 
「首切り地蔵」は、荒木又右衛門が試し切りをしたという伝説があります。「寝仏」は元々は山肌に彫られていたものが崩れて落ちてきて仏様が寝転がったようになったのでそう言われています。
 奈良の
「高畑町の町並み」です。やっと奈良に16時30分到着。円成寺から奈良まではほとんど下り道ですが全行程8時間30分結構疲れました。
峠の茶屋   地獄谷石窟仏  地獄谷石窟仏の内部
首切り地蔵  寝仏  高畑町の町並み
この日は若草山の山焼です。ホテルで風呂に入り−−レッツゴ−山焼きの見学に行きました